reikonoburogu霊子の日記

あなたは霊の存在を信じますか?

心霊体験の話・ペルーのガイド

これは私の知り合い霊子(仮名)から聞いた話です。
昔から霊が見えるという霊子です。
本当かどうかは私にはわかりません。
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私は世界遺産が好きだ。若い時、ナスカの地上絵を見たかった。
S子はワインが好きだ。なので、南米に行くことにした。
ツアーに参加したのだが、ガイド付きだった。
空港に着くと、70代の男性とその奥様がガイドとして来ていた。
少人数だったからか、車はそのガイドさんの自家用車だった。
その男性ガイドはノリもよく、明るく「はるばる来たねー」とか言っていた。
ホテルについてチェックインをしていると、「ごはん食べるところは決めてるの?」と聞かれた。
私たちは、現地の人に聞いて勧められたおいしい穴場に行く主義だった。
なので、「おいしいところを教えてください。」と言うと、「日本人は珍しいから、私たちが招待するよ。」と言ってくれた。
「ビールも飲みたいし、ビアレストランみたいなところがいいな。」と言うと、「わかった。連れていくけど、私たちも行くので、一回着替えに我が家に寄るね。車で待っててもいいし、家の中で待ってもいいよ。」と言われた。
「じゃあ、お邪魔します。」と言って中に入った。
平屋で、そこそこ綺麗な家だったのだが、中に入るとめっちゃ居るのが見えた。
私はS子に小さな声で「お化け屋敷だな。」と言った。
「え、居るの?」「うん、たくさんね。」とひそひそ話した。
玄関の入り口の外に置いてあるロッキングチェアーにはお婆さんが座ってる。
中では「そこ座ってていいよ。」と言われた、海外サイズのおおきな革張りのソファーには、30手前くらいの男の人が、額に指先を当てて、うつむいて座っている。ほぼ、「考える人」だ。
奥様が「実は私、息子がいたんだけど、少し前に亡くしてね。まあ、諦めはついているんだけど。元気にしているかしら。」と言ってきた。
この座っている男性だと思ったが、見えるというと色々面倒なので、「元気にしてたらいいですね。」と言った。
するとガイドさんが「息子が死んで、後を追うように、おふくろも死んでさ。」と言う。
玄関の人だと思った。穏やかな顔をしているので、元気だと思ったが何も言わなかった。
準備が整い、レストランの予約も済んだとのことで、行こうと言って外に出た。
車に乗ろうとしたら、奥からスパニッシュ系の顔をした二人の男の子が手をつないで駆けてきた。
そして私の方を見て、「バイバーイ」と手を振っている。
車が出るとき、窓の隅で私も小さく手を振った。
ビアレストランに到着するとビールと現地のワインを飲み、タバコも吸えるので、大いに飲み食いした。
すると奥さんの方が、身の上話をしだした。
子供が三人いて、長女は郊外に家族で住んでいる。二番目の男の子は外国で先生をしているそうだ。
三番目が亡くなったのだが、パイロットに憧れていたが、もともと肺が弱く、諦めないといけなかったそうだ。
「うちの家は、成功しかけるとなにか問題が起こる。不運なんだよね。」と愚痴を言っていた。
「長女も、最近子供を亡くしてね。とても可愛かったのに。双子の男の子だったんだ。」と言う。
私もお酒でつい口が滑って、「もしかして、スパニッシュ系?」と言ってしまった。
「そうそう、旦那さんがスペイン人で。でも、なんでわかるの?」と言われた。
S子も、「えー?」と驚いた。
私は、「なんとなく。なんとなくです。」と誤魔化した。
「交通事故で、突然だったから、娘も気がくるってしまって。一年くらい通院してた。」と言われた。
「あのときは大変だった。でも、その後、娘が出来て、保育園に通っている。」そうだ。
私は、この家族はみんなあの家にいるんじゃないかと思った。
あの家では、他に兵隊さんも見えていた。痩せていて、軍服を着ていたが、顔は南米風ではなかった。
「ご家族に軍人さんはいますか?痩せてて目がグリッとしてて背の高い人。」と聞くと、ガイドさんが「妻のお父さんじゃないかな。司令官までなった人。最後は病気で亡くなったけど、ガリガリに痩せてね。」と言う。
「ドイツ系ですか?」と言うと、「あ、じゃあ、そうだ。父がドイツ、母がペルー。」と言う。
「なんでわかるの?」と言うので、私も言ってしまった。
「ロッキングチェアーにはお婆さんが座ってて、ぽっちゃりしてて白髪で歯が無くて鼻が大きい人。鼻のところに大きなほくろある。」
「そうそう、息子は?」と聞くので、
「ソファーに座ってうつむいて指を額に当てて。」というと、奥さんが泣き出した。
そのしぐさは癖で、悩んでるとか苦しんでいるわけではないそうだ。目が疲れやすいので、額ではなく目を押さえていたらしい。
「あとは?あとは?」とさらに聞くので、双子の少年の話をして、「バイバイと手を振っていたので、私も振りました。」と言うと、
奥さんは私のしぐさをミラー越しに見ていたそうで、その時は何してるんだろうと思ったそうだ。
「いたのー?」と感激していた。
「あとは?、あとは?」と聞くので、
広いリビングダイニングの、キッチンの方に、かなり太った黒人の女性が居て、今は使っていないように見える石窯を磨いていたと言った。
「あ、マリア(仮名)じゃない?どんな感じ?」と言う。
「髪をびちっと結んでた。」と言うと、「あー、そうそう。」と言った。
アフリカ系のメイドで、奇麗好きで暇があればいろいろなところを磨いていて、今は自立して一人で生活しているらしい。
でも、そこに居るということは「亡くなったのかな?」と心配していた。
あと、クリーム色の大型犬がいたと言うと、「あー、ジョン(仮名)じゃない?うれしーい、乾杯!」と大いに盛り上がった。
相当盛り上がったので、そろそろ帰ろうということになったが、現地では、飲酒運転がそれほど厳しくなく、ガードマンだか警官だかを呼んで歩いて見せるなどのテストをして、運転できそうだったら運転して帰っていいというルールだった。
帰っていると、「君たちがもしまだ飲めるなら、うちにワインセラーもあるし、飲んでいく?」と聞かれたが、「私たちもホテルに帰って寝たいので。」と断った。
でもガイドさんも大いに興味があるから、もう少し話したいというので、後でホテルに送る約束で、もう少し付き合うことにした。
家で、大きなテーブルに座ると、やはりお酒や料理を出してくれたのだが、家じゅうの霊が寄ってきた。
子供たちが横にいたので、「ここにいますよー」と教えてあげると、ガイドさんが椅子を用意してくれt、子供たちもそこに座った。
テーブルについた子供たちが何やら話しているのだが、現地の言葉なので分からない。
なので、子供に向かって「キャン ユー スピーク イングリッシュ?」と言ったが、「ノー」と言われた。
でも、簡単な単語は分かるようで、奥さんを指さして「サンキュー?」と聞くと「イエス、イエス」、「ラブユー?」と聞くと「イエス、イエス」、「ヘイト?」と聞くと「ノー」と言う。
なので、ガイドさんに「ありがとう とか 愛してるとか ずっと言ってますよ。」と伝えた。
すると、軍人さんも玄関から入ってきた。そう伝えると、ガイドさんがもう一脚、椅子を用意したので、そこに座った。
ソファーには息子が座ってるというと、現地のコーラが好きだったそうで、それとピーナッツを出して置くとうつむいた顔を上げて頷いた。
ガイドさんは喜んで、「パーティーだ!」とワイワイ盛り上がった。
S子もここぞとばかりにベロベロに酔って、私が「ホテルは?」というと、「泊まって行けよ。」と言われるが、ツアー料金に入っているし、と思って帰ることにした。
遅くなったのでホテルに電話すると、タクシーを出しましょうかと言うので、お願いして、帰りますと言った。
ガイドさんとは、明日は地上絵を見に行くことになっているので、よろしくお願いしますと言って、酔っぱらったS子を担いでタクシーで帰った。
翌日は10時にロビー集合だったが、少し前に私が行くと、ガイドさん夫婦は既に来ていて、さすがだなと思ったが、S子は完全に二日酔いだった。
ガイドさんも私たちが帰った後も、見えはしないけどいるというのが嬉しくて、色々話しかけながら、盛り上がったそうだ。
今夜もうちに来るだろうと言われたが、さすがにそれは断った。
そのあと、ナスカの地上絵を見に行ったのだが、ヘリコプターに乗って上空から見れて、ほんとに幸せだった。
夜には、またお酒が飲めるスパニッシュ料理のレストランを教えてもらい、S子が浴びるほど飲んだ。
帰る日になり、空港に向かうと、ガイドさんの娘が来ていて、話を聞いていて、「ありがとう」としきりに言っていた。
その時に聞いた話では、現地では日本のお仏壇のようなものがあって、代々家長がそれを引き継ぐようになっているそうだ。
そこに魂が宿っているのではないかと言われた。だから、みんなあのガイドさんの家に集まっているのではないかと思われた。
霊は見えるが、現地語を話されるので、分からないなーと思った旅だった。

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